看護師あずさ日記

精神科の脅迫性

先日、精神科への措置入院歴のある44歳の男性が、小学校に刃物を持って乱入し、多くの児童を殺傷する事件が起きました。

こうした精神疾患に関係する重大事件が発生すると、社会の安全と患者の人権とのせめぎあいという話になるのですが、今回もそうだったようです。

ただし、今回は大量殺人の場が安全であるはずの学校であったという事実から、「学校の開放か、児童の安全の確保か」というテーマも相まって、これまでの議論と若干雰囲気は違うようです。

この事件については私の知人は、「校門をどんなに頑丈にして、高くしてもたとえ門に警察を配置しても完全に防ぐことはできないし、本気で狙っている犯人の侵入を防ぐことは難しい」と言っていました。

そして、今回の事件の話を聞いて、彼のこの事件に対する考え方がよくわかりました。

これは彼自身の環境も影響してかもしれませんが、彼の事件に対する見方が、こうした事件が起こるたびに議論される内容とかなり違っていることに改めて気がつきました。

精神疾患は、多くの場合、客観的な検査で鑑別できる疾患ではなく、だからこそ、診断が医師によってまちまちであることもあり、たとえ専門医であってもどの人が危険で、どの人が危険でないかを正確に見極めることはできないのです。

例えば病気のふりをする人を正確に見極めることは難しいですし、あるいは治ったふりをする患者さんもいるのです。

こうした意図的な患者さんというのはある意味やっかいではあります。

つまり、人権への配慮を一切捨て去って、危ない患者さんを病院に入れてしまうといっても、患者さんの側からすればいくらでもスキはありますし、それで社会一般の安全性が確実に守られるというものでもないでしょう。

私がこうした友人の見方に気付いたのは、「学校の開放か、児童の安全の確保か」という視点が加わったからで、社会一般の安全が精神疾患を持つ患者の隔離と患者の人権という重いテーマを考える際には、ついついそこでの表面的な議論に終始してしまいがちなことにも気がつきました。

しかし、完全な安全は幻想でしないという事実は、例えばどんなに交通安全について意識を高めても、決して交通事故死亡者数がゼロにはならないように、やはり一般社会においては完全な安全は求めながらも決してかなわないものだと感じざるを得ないのです。

例えば、今回の事件の犯人も、以前に措置入院になっていたのに短期間に退院していたという事実があるように、患者さんの側にはいくらでもスキがあるということなのです。

これを医師の判断ミスと単純に片づけることはできませんし、これこそが精神科という医学領域の特異性とでもいえる難しい部分であるのです。

2014年6月13日|

カテゴリー:病棟日記

患者さんとの格闘

つい先日、私はある患者さんに対してかなりいとてきに意地の悪い言い方をしてしまいました、

内容を簡単に言うと、「他の患者さんの問題にかまわず、自分の問題にちゃんと目を向けてください」という趣旨のことです。

それというのも、この一月ほど入院している患者さん同士がその人間関係のもつれ交互に不安定になる状態が目立っていたからです。

これは人との距離がうまく取れない患者さん同士の間ではよく見られることではあります。

ですから、いずれ落ち着くところに落ち着くかと思いながらも、しばらく様子見でいこうと思っていた矢先に、事態は改善せずに、ますます袋小路にハマっていくという状況が見受けられました。

夜勤の日のことですが、ある女性から聞いた治療への不満を男性が看護師に代弁しにきて、いよいよ収拾がつかなくなりました。

その時、新夜勤だったスタッフが言うには、彼の興奮はかなりすごかったようで、精神科の患者だからと言ってバカにしているのではないか、もっと心を込めて接するべきだとか、廊下で泣いている患者の話をもっと真剣に聞くべきだという容易な話を夜通ししてくるのだそうです。

「お話はまた日中にでもうかがいます」と言ってもなかなか聞き入れられず、その日は朝方まで事あるごとにナースステーションに入り浸ったということです。

その報告を聞いたとき、おそらく、彼は自分自身が私たちに抱いている不満を「彼女のため」とすり替えて、いわば彼女に代弁させる形で私たちにぶつけてきたと考えました。

こうした心理を私は理解できないわけではありませんが、やはり経験の浅い看護師にはなかなか理解できない部分があるのかもしれません。

ところがその先の話を聞いて、これはそう単純な話ではないなと感じました。

その後も、彼はナースステーションに来ては医療スタッフへの不満をぶつけ、彼がぶつける不満は支離滅裂という状況になり、苦情のオンパレードという感じになりました。

これに乗じて他の患者さんも、治療への不満や薬への不満をそれまでため込んでいたものをぶつけるかのように並べるようなりました。

少し悩みましたが、私はこうした患者さんの話を聞きながらも冒頭でお話ししたように、軽い叱責を含めて注意するようにしました。

しかし、こうした私の注意に対して、彼らは反抗するのではなく、「私もそうは思っています」と一旦受け入れるかのような態度なのです。

「そんなことは私たち自身よくわかっている」とでも言いたげな話ぶりです。

その態度は私に迎合することで自分は単なる患者ではないというある種の防衛的な優越感を育てているようにも思えました。

自分より年長の方にはそうした態度をとられると、私自身ひじょうに複雑な感じをしてしまうのですが、これは「自分のポジション」を守れないからこそ入院している患者さんに対して、自分のポジションに戻るようにと促すようなもので、ある意味非常に難しく、だからと言って逃げるわけにはいかない大切な部分です。

精神科の領域は常に差別や偏見と良心とのせめぎあいが問われる部分があり、これは医師も看護師もほかの内科や外科などと大きく異なる部分と感じているところです。

ここをしっかりと理解して患者さんに接することのできる看護師が意外に少ないのが実情です。

2014年6月10日|

カテゴリー:病棟日記

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